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メキシコ70年代が舞台の最新映画「Roma/ローマ」をNetflixで観たので、まとまりなく感想を。

少し前から話題になっていた、メキシコ人映画監督アルフォンソ・クアロンの最新映画「Roma」を2018年の年末に見ました。

多くは「アルフォンソ・キュアロン」と呼んでるけど、Cuaronのスペイン語の発音は「クアロン」ですね。

ここからはネタバレがたくさん含まれますが、私の解説が飛び飛びというか、感想が言いたいがためにあらすじをブチブチと書いてるだけなので、あまり理解はできないと思います。

できれば、この映画を見た人がこの記事を読んで、あなたはどう思ったのか聞かせて欲しい!

 

この監督の映画で私が見たのは、サンドラブロックとジョージクルーニーが出ている宇宙でさまよう「ゼロ・グラビティ」。好きで何度も観ました。

もう1つは「天国の口、終わりの楽園」という、メキシコが舞台の映画です。

私がメキシコに住み始める前の20歳の頃、初めて見たときはなかなか衝撃的な映画でした。

だいたい「天国の口、終わりの楽園」って詩的なタイトルだけど、スペイン語のタイトルは「Y tu mama tambien(おまえの母ちゃんも)」という直球すぎるタイトルで、映画の最後になぜこのタイトルにしたかのか、嫌でも分かりやすぎるタイトルです。笑

(というか、「0グラビティ」という邦題は「無重力」なのに、オリジナルのタイトルは「重力」なんだよね・・。)

「天国の口、終わりの楽園」は私がメキシコに移住してからはこの映画を見ていないので、15年住んだ今見るとメキシコの細かい描写に新しい発見があるかもな・・と、子どもがいないとき(笑)に、またこっそり観てみようと思います。

 

映画Romaが描いた70年代のメキシコ

映画では1970~1971年を描いた映画だそうですが、

時代背景ではメキシコ60年代の終わりの1968年には学生運動が起きて警察と学生の対立で300人の虐殺が行われた同じ年に、メキシコシティーオリンピックが開催されたり。

また、まだ記憶に新しい2017年にメキシコシティ大地震がありましたが、さらに死者を出したメキシコ大地震が1971年です。

こんな怒涛のメキシコの70年代に聞こえますが、メキシコのよき古き時代もあったと思います。

ちなみに私のメキシコ人の旦那さんは、メキシコシティ出身で1967年生まれなので(私より13歳上)まさにこの映画「Roma」の時代に幼少期を過ごした人です。

なので、映画を見ながら「そうそう!こんな家の作り!」「あるある!」と細かな当時の描写に大きくうなずいていました。

「まるでフランス映画みたい」が私の感想。

最初に書きますが、非常に淡々と進んでいきます。

ときに起承転結の荒々しい「転」がやってくるんじゃないかと期待しますが、あれれ??

と思うくらい、ほんと淡々としています。

地方の村からやってきた、先住民のひとりの若い家政婦(家政婦同士で話すときは先住民の言葉で話すシーンがあります)が「トラブル」巻き込まれて、これから大変なことになるんじゃないかと思わせられるシーンは何度かあるんですが、

あれ? また淡々と進んでいく・・・

なんでもない生活の描写が非常に多く、最初の数分はひたすら、排水が流れるシーンや犬の糞などが映し出されます。

しかも白黒なので、見終わったときの感想は「メキシコのフランス映画だな」と思いました。

「メキシコのフランス映画」ってなんだ?!って感じですが、フランス映画のメキシコ版的な?

とはいっても、フランス映画よく知らないので、私の勝手なイメージです。

 

でも、あとから映画のシーンを思い出していくと、このひたすら映される日常のシーンこそこの映画の大事な要素になっていて、美しいとさえ思いました。

見終わったあとじわじわくる映画です。

 

なぜメキシコなのに「Roma/ローマ」というタイトル?

映画「Roma」はベニチア国際映画祭コンペティション部門の、最高賞である金獅子賞を獲得したので、

ベニチア、ローマ、

もうそれだけで一般からは「イタリアのローマ」しか浮かばなそうですが、メキシコシティの中に「Colonia Roma ローマ地区」というエリアがあります。

父親が医者の裕福そうな家族(子供4人)と、その家に住み込みで働くふたりの若い家政婦。

そう、その家族が住むのが「ローマ地区」。そのまま映画のタイトルになってるようです。

 

カラフルなメキシコをなぜあえて白黒映画にしたのか


写真は映画Romaとは関係ありません

メキシコは色鮮やかな国で、映画の中にも色とりどりの小物が使われています。

食堂がある市場の様子や、道端で売られる物売りたちの商品、壁にペンキで描かれている広告やお店の名前は、そのままカラーで見ても当時のレトロさを十分表現できたと思います。きっと撮影するときも、こだわったはず。

なのに、なぜ色を全て消して白黒にしちゃったんだろう。

と思いました。最初は。

でも、不思議なことに白黒で見ても鮮やかさが伝わるんですよ。

私がメキシコに住んでて知ってる光景だからか?とも考えたんですが、いや、でもやっぱり白黒なのに鮮やかなんですよ。

色の無い「モノクロ」に、色を付けずに命を吹き込むのが素晴らしい監督だなと思います。

色を付けずに命を吹き込む。

自分で書いてみて、Romaもやっぱりこの表現がぴったりだと思いました。

 

思い返すと「0グラビティ」にも共通するものがあるなと思いました。「0グラビティ」も色のない宇宙のシーンを淡々と描いていて、宇宙に放り投げられて右も左も上も下もない真っ暗な世界から、地球へ生還する映画なんですが、息使いとか、緊張感とか、音の無い「静寂」にもやっぱり命を吹き込まれてる。

 

淡々としてるのに、ときどき強烈なエッジを効かせてくる

先に書いたように、「フランス映画みたいに淡々としてる映画」という私の感想なんですが、時々ビックリするほどエッジ?スパイス?ハバネロ?(/ω\)を効かせてきます。

家の駐車場に落ちている飼い犬の糞を、駐車するときにタイヤで踏みつけて、ハンドル切ってまた練り踏みつけるシーンを生々しく撮っていたり、

主人公のクレオ(家政婦)が出会ってすぐ関係を持った男が事後、全裸で武術をクレオに見せつけるんですが、棒(ホテルのシャワーカーテンの棒)をブンブン振り回すたびに、男性の大事なものがブンブン振りまわってるんです。( ゚Д゚)

私は夫とこどもたち(9歳7歳4歳)と見てたんですが、モロに映し出されていてちょっとびっくりしました。隠さんのかいっ!

まぁ、子供たちには大ウケで、何度もあのシーン見たい!!と言われましたけど、却下。笑

 

血のつながりより時に強いつながり

映画では家政婦のクレオと4人の子供たちの繋がりを垣間見れます。

住み込みの家政婦なので同じ敷地に住んでるとはいえ、離(はなれ)にもう1人の家政婦と住んでいます。

でも子供たちはクレオによくなついていて、信頼関係を築いているんですが、私の夫が「生みの親よりも、こうやって実際に自分たちの世話をしてくれる家政婦に親以上の愛情を持つ子供は多い」と語っていました。

 

随所に散りばめられたコントラスト

クレオが望まない妊娠をしたあと、住み込み先の奥さんに「仕事をクビになる(=追い出される)」ことを心配します。

奥さんは「クビにするわけないじゃない!」と。

すごいなと思いました。

クレオは実の母にも妊娠のことは言っていません。

出産間近になると、奥さんのお母さん(おばあちゃん)にベビーベッドを買いにつれて行ってもらいます。

私はとてもこのシーンが印象に残ってて、雇い主はこういうことまでしてあげるんだ。優しい雇い主でよかったな。と思ったんですが、

そのあと事件が起きて、暴動が起きる中、クレオは家具屋さんで破水し、大渋滞に巻き込まれやっとのことで病院にたどり着きます。

病院に着いたときおばあちゃん(雇い主(奥さん)のお母さん)は、受付でクレオのフルネームや年齢、誕生日を聞かれるんですが、クレオの名前しか知らなくてパニックになるんです。

この差。

住み込みの家政婦が自分のうち(厳密にはおばあちゃんは住んでいない)でシングルマザーで赤ちゃんを育てながら働く相手に、ベビーベッドを買ってあげるんです。でも名前しか知らないんですよ。そんな相手にベビーベッド買ってあげるんですよ。

雇い主が家政婦についてのこと何も知らないということが非情だと言いたいわけでなく、このコントラスト、雇ってる若い使用人が望まない妊娠してシングルマザーになる。

しかも、自分の家でその生まれる赤ちゃんを、そのまま自分の家に住まわせてあげて、そこで子供も育てていいという背景と、名前以外は家政婦について何も知らないという背景。

 

もうひとつコントラストと言えば、上で、事件と書いたんですが、暴動が起きたときクレオのお腹の子供の「父親」(棒を振り回して披露してた男)が、誰かを殺すために追って偶然その家具屋さんにピストルを持って入って来るんです。

そしてクレオを見つけたとき、けん銃をクレオに向けるんです(その前に妊娠発覚後クレオが男を探しに行き妊娠してることを使えたとき、酷すぎる言葉をかけています)。

クレオを撃つことまではしなかったけど、そのせいで破水。

その最低な男の着てるTシャツよーーーーく見ると、「Amor(愛)」とかって書いてる可愛いTシャツ着てるんです。

分かります?
私はこれが印象的で。

コントラスト、コントラストと繰り返し書いてますが、やっぱりこのコントラスト、明暗の差が私には心に残りました。

 

アルフォンソ監督の作品の共通点を見つけてしまった。

といっても、アルフォンソ監督の映画を全て見たわけではないのですが、見たことのある

  • 天国の口、終わりの楽園
  • ゼロ・グラビティ
  • Roma

この3作品、ふと、すごい共通点を見つけました。

全て水辺で終わるんです。

「天国の口、終わりの楽園」で、最後に死を前にしたスペイン人女性が

“La vida es como la espuma, por eso hay que darse como el mar”
「命(人生)は泡のようのようなもの、だからあなたは海のようでなければいけない」

 

とつぶやく言葉と、

 

Romaでは、クレオの子が死産したあと傷心していたクレオに、雇い主の家族がビーチ旅行へと誘います。

気乗りしないまま一緒に行き、ビーチで子供が溺れ、泳げないクレオが必至でこどもたちを命からがら浜へ上げます。

それがRomaの一番有名な下のシーン。

ここで、クレオが泣きながら言った言葉が「Queria que naciera..」(生きて)生まれてほしかった。

 

そう言ったと思ったんですね。最初観たとき。

赤ちゃん生きて生まれてきて欲しかったよね。望まなかった妊娠でもお腹の中にいる赤ちゃんと一緒に過ごすうちに愛が湧くよね・・・。と悲しくなりました。

でもね、その直前の言葉、あれ?「No queria(欲しくなかった)」って言った?まさかね、「Yo queria(欲しかった)」そう言うよね?

と混乱してもう一度戻って言葉を聞いたら、違ったんです。

– Yo no la quería.(欲しくなかったの)
– ¿Qué?(何?)
– No la quería.(欲しくなかった)←laの部分からお腹にいた女の子の赤ちゃんということが分かる
– Están bien.(大丈夫よ)
– Yo no quería que naciera.(私は生まれてきてほしくなかった)

そう、「No queria que naciera」生まれてきて欲しくなかった

って言ってるんです!

ちょっと衝撃でした。

でも、そこにすごく人間らしさというか、きっと、欲しくなかったと思っていた罪悪感、そして死んで生まれた我が子への罪悪感に苦しめられてたんじゃないかなと思ったんです。

 

「ゼロ・グラビティ」も、幼い娘を亡くして(幼稚園で鬼ごっこしてて転んで亡くなった)、「私が死んでも悲しむ人はいない」「娘に会える」ともう生きるのを諦めた宇宙飛行士が、最後に生きることを選び、地球の湖に落下し最後に重力を噛みしめながら生還するシーン。(ねぇ、やっぱりこの映画は「ゼロ・グラビティ(無重力)」ではなく、原題の「グラビティ(重力)」であるべきだと思うんです)

これもキーワードが「水辺、命」なんですね。

 

さいごに

つらつら書いただけで自分の感想メモのようでまとめもしてませんが、まとまらないので終わりにします。笑

Romaは高評価得てますが、好き嫌い(面白い・美しい映画だと思う/最高につまらない)がはっきり分かれる映画だと思います。

私はまた観ようと思います。

あ!Romaの主演女優のクレオ(Cleo)を演じたYalitza Aparicio(ヤリッツァ・アパリシオ)についても書こうと思ってましたが書ききれてないので、次回彼女にフォーカスして書きたいと思います。

 

 

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