前回、メキシコ独立記念日に食べるポソレについてこんな記事をアップしました。
▶︎人肉入り?!メキシコ独立記念日に食べる、アステカ時代から続く続く具沢山スープPOZOLE(ポソレ)
今さっき、メキシコ人の生き字引のような友人と話してたんですね。
「ポソレについて書いたんだけど、昔アステカ人って敵の人肉、本当に食べてたと思う?」って。
そしたら、生贄はしてただろうけど、あの大帝国を築いたアステカ人。大帝国を築くためには、規律、衛生、食事などの統率が必要で、人喰い民族のような野蛮な文化では大帝国は築けなかったはず。
という見解を教えてもらって、OH!確かにそうだな!と思いました。
敵を脅かすために儀式として生贄を調理したとしても、食事として脳や神経疾患になるリスクを冒してまで食べることはなかったんじゃないか?
じゃあ、野蛮なメキシコ人(アステカ人)という風に仕立てて、誰が得するのか?
と考えると、スペイン人征服者エルナンコルテスか、、?
エルナン・コルテス(Hernán Cortés)は、16世紀にスペイン王国のためにアステカ帝国を征服した人
当時メキシコを征服にやってきた彼はスペイン王の懐に入らなければいけなかったんですね。そしてスペイン王も得しなければいけない。
最終的にエルナンコルテスは莫大な富と名声を得たんですが、アステカの首都テノチティトラン(現在のメキシコシティ)から膨大な量の金、銀、宝石などの財宝を獲得しました。アステカ人の宗教や文化は多くの宝物を伴うものであり、これらの富はスペインにとっても莫大な利益となりました。
もちろん広大な土地や軍事力、政治力も得ました。
キリスト教布教にも征服に多いに役立ったのですが、実はここでエルナンコルテスと布教目的の宣教師たちとの間にはやり方に対立があったとされます。
エルナンコルテスの目的は主に、政治的、軍事的支配。スペイン王の名のもとにこの地域を支配下に置くため、キリスト教を利用。
一方で、宣教師たちは、真に先住民をキリスト教へ改宗させ、彼らの魂を救うことを目的としていました。
宣教師たちは、先住民を「慈悲と理解をもって」キリスト教に導こうとしたのに対し、コルテスや彼の兵士たちは、時には暴力や強制を用いて征服を進める。
これが宣教師たちとの対立を引き起こしました。
宣教師たちが先住民に対し、神の子として扱い、保護する立場をとることに、エルナンコルテスは、先住民がそれに値しない、生贄やカニバリズムをする野蛮人、救いのない悪魔のように仕立て上げ、スペイン王にはそう報告をしたんですね。
遠く離れたところにいるスペイン王はエルナンコルテスの言い分、宣教師の言い分(事実)を聞いても事実を知る由もないし、アステカの古文書も焼き払われました。
結局、王様もアステカの金銀宝石を得た方がいいに決まってますもんね。
こういう古文書も、誰が描いたかにもよるし、そこに自分達にメリットがあるように意味の捉え方や、捏造だってできるわけです。(注意↑この絵が捏造されたものを言ってるわけではないです)
宗教に関しても、コルテスは、アステカの神殿や宗教施設を破壊し、キリスト教の教会や聖堂を建てることで、アステカの文化と宗教を抑圧しました。これは、征服の一環として行われたものですが、宣教師たちは、徐々に改宗させることを望んでいたため、急激な破壊行為や強制的な改宗には懸念を抱いていました。
そこでも、野蛮な先住民の宗教なんてさっさと破壊して、改宗させよ!と抑圧する方が手っ取り早いわけです。
最終的にはスペイン王室との政治的な対立により、コルテスはその影響力を失い、宮廷から遠ざけられました。それでも彼の征服活動は、スペインの帝国拡大に大きな役割を果たし、メキシコの歴史において重要な転換点となりました。
「ポソレに人肉が使われていた」という話は、アステカ時代の宗教儀式と関連した歴史の一部や神話や伝説として捉えられることが多いです。(私も都市伝説は好きですし笑)
一方で、語られる歴史は誰目線のものか(誰得か)、と視点を変えて考えるのも面白いですね!