9月23日に日本からカンクンへ帰国して、もってきてた6つのスーツケースがロストバゲージ。
翌日、1か月の日本滞在中我が家のペットの面倒を見てもらっていた知人宅にお迎えへ出向き、昼過ぎ、ロストバゲージしてた荷物が自宅に届いたので、貴重な日本食や100均で爆買いしてきた便利グッズ、洋服や色んな思い出を簡単に仕分け。
その翌日の9月25日は子供たちも学校へ登校。夏休みの終わりごろ私の祖父が危篤になり急遽日本に行ったので、夏休み明けの進級後では初登校でした。(メキシコはアメリカなどと同じく夏休み明けに学年が変わる)
12時ごろ子供たちと幼稚園や小学校から帰ってきて(メキシコの公立校は学校が終わるのが超早い)、お昼ごはんも食べずにみんな時差ボケと旅の疲れで、家族5人みんなでクーラー付けてお昼寝。
どれくらい寝たか分からない頃、部屋の外から私の名前を主人の叫ぶ声で起こされ、何でそんなに叫ぶのか、機嫌が悪いのか、「もう!うるさいなぁー」と思いながら部屋を出ました。
そこで見たものは家じゅう充満して異様な臭いを放つ煙。
煙に覆われた家は、うす暗く、昼寝から飛び起きたばかりの私はそれが朝なのか昼なのか夜なのか分かりませんでした。
それでも、このときはまだ、煙は外から入ってきたものだと思い、何が起こってるんだろう?と立ち尽くしてました。
「手伝って!!!」
と必死に叫びながらキッチンに立ってる主人を見て、「で、この人はキッチンで何してんだろ?」と思いました。
「燃えてる!!!火事だ!!!」
という主人の叫びに、ハッとして、それでもどれだけ事の重大さ、これからもっと悲惨なことが起きるのか、知る由もありませんでした。
まだ部屋で寝ていた3人の子供たちを起こし(どうやって起こしたのか、それとももう起きていたのか記憶がありません)
異様な化学臭と煙に囲まれたリビングを通って、みんな裸足で飛び出し、外に逃がしました。
そのとき、ソファが燃えてるのを見て、自分の家が本当に火事になってるんだと理解しました。
子供たちをアパートの外へ連れ出し、ここから動いては駄目と命じ、3階の自宅に急いで戻ったときには、もう家に近づけないほどに恐ろしい煙と高温に包まれていて、
飼ってるシベリアンハスキー(名前はうみ 1歳)と猫(名前はピラタ 10歳)がまだ家の外に出ていないことを思い出し、血の気が引きました。
主人と一緒に動物たちの名前を必死に叫んでも返事がありません。
うみは私たちが寝ていたベッドの下にいたはずで、子供たちを逃がしたときに部屋のドアを閉めたかどうかも思い出せません。
閉まっていたら開けないと逃げることができない。
助けなきゃ!
私は家に飛び込みましたが、家のドアから走ればたった2秒でうみのいる寝室のドアに辿り着けるはずなのに家に1歩入るだけで、煙の闇と、燃え盛る炎と、目と喉を刺す化学臭で動けなくなってると主人が私を引きずり出しました。
主人は地獄絵図の中を何度も飛び込んでうみとピラタを必死に探しました。
まとまった現金や土地の権利書、使ったばかりのパスポート、財布が入ってるカバン、携帯、、
あぁ!
あぁ!
あぁ!
どこに置いたか思い出せ!!しっかりしろ私!
と思っても、近づける場所はもうなく、パニックと恐怖でおろおろするだけ。
うみの声はなく、ピラタのミャアと鳴く声だけが辛うじて聞こえ、「まだ生きてる!」と確信できましたが、
煙が恐ろしいほどまで覆い、外にはまだ太陽があるのに家の中は暗闇に包まれていて何も見えません。
気付いたら知らない2人の男性がいて、鎮火と救助に来てくれ
動物たちがまだ中にいる!犬がベッドの下にいるはず!猫はどこにいるかわからない!
と私たちが叫ぶと勇敢な男たちは何度も何度も主人と動物たちを探しに炎と煙の中へと飛び込んで行きました。
主人が炎と煙の中から唸り声と酷い咳をしながら飛び出してきて、膝をついて苦しんでいるのを私はオロオロすることしかできません。
「ベッドの下には何もいない!」
という声が聞こえましたが、私は「絶対いるはず!」と確信していたけど、何度も何度も名前を呼んでも
声は無く
この煙の中ではもしかするともう本当に駄目かもしれない・・・、でも、お願い!生きてて!!
でも、主人に「もう生きていないかもしれない・・ごめんね・・」と言われた時には、叫び声に似た嗚咽だけが出て、涙が出たのかどうか思い出せません。
どれだけ時間が経ったか分かりませんが、「火は消えた!」という、声がありました。
中の様子が見えないのでどうなってるのか分かりません。
火が消えても煙がすごいので中に入ることはできません。
それでも、主人と有志の男2人はまだこの煙の中、動物たちを探すために何度も家に入ります。
私は、この人たちが煙で死ぬんじゃないかとそれが心配で、動物たちを助けてほしいけど、彼らは死んではいけないと思いました。
消防隊が到着しました。
カンクンの家の作りはブロックがほとんどなので、カンクンの消防って暇だろうなと普段思っていました。
まさか自分の家が火事になって消防隊員が来るなんて。
「中にまだ誰かいるか!」
「人間はみんな出た!動物たちが!猫と犬がまだ家の中に!!!」
重たそうな消防士たちの服や重層のマスクでどんな人たちなのかわかりません。ただそのひとたちが重そうなホースを持って自分ちに入っていくのを見て、
あぁ、これで助かった・・。
と思ったけど、消防隊がうみの亡骸を抱えて出てくるんじゃないかと怖かった。
「いた!!!!」
と言う声が聞こえた!
なのに出てこない。
何の防備どころかTシャツも着てなかった主人。消防隊員に「危ないから出なさい!」と止められるのを無視してまた飛び込んで行き、消防隊が抱えきれなかったうみを主人が抱きかかえて煙の中から出てきた。
「生きてる!!!」
主人は私にうみを託し、猫のピラタを探しに行った。
うみは、やっぱりベッドの下にいたらしい。
鎮火後、寝室のキングベッドはうみを助けるために消防隊によってひっくり返されていた。
2メートル×2メートルのキングベッドはちょうど部屋の角にくっつけていて、うみはその一番奥の角に丸まって耐えていたらしい。
よく生きててくれました。
黒ハスキーのうみの背中は黒い毛なのでよく分からないけど、胸やお腹の白い毛がすすで黒くなっていました。
全身ススだらけなのがすぐに分かり、撫でると手が黒くなりました。
抱きしめると、体中がひどい煙の臭いでした。
少し遅れて猫のピラタが出てきました。
そのころ私は救出されたうみが今度はパニックで脱走したので、ピラタがどんな風に救助されたのか知りません。
外に出した子供たちの様子を見に行くと、9歳の長女はパンツ一丁(上は制服)で寝ていたのをそのまま飛び出したので、かわいそうに着てるポロシャツをひっぱってパンツを隠していましたが、
主人は救急車で検査、私は消防隊員と家の確認や、生き残った貴重品などの確認。
確認といっても、ついさっきまで家族で昼寝をしていた幸せな時から、一瞬で地獄絵のようになった家の変わりように足がすくんで、「しっかりしなきゃ!」と頭では分かっているのに、ただ消防隊員に「ここに生き残った腕時計があるよ」などと教えてもらい、数日前に主人が日本で買ったばかりの腕時計を手にとり、でも真っ黒に覆われた家の中はまるで洞窟の中のようにいるようでした。
頭がいっぱいなのに空っぽで、脳みそがザルみたいでした。
何からしていいのか分からないまま、それでも動き、子供たちは後回しでした。
次に長女を見たときは、だれか親切な人が長女にズボンをくれて履かせてくれていました。
窓ガラスは高熱で割れ、近くにあった亡くなった義母の大きな鏡は跡形もなく、そこにはまとまった現金も跡形もなく灰となり、鏡の下にあったパソコンデスクは丸焦げでVの字になって崩れかかり、そこにはおととい日本からメキシコに帰ってきたときに使ったばかりの家族全員のパスポート全部で9冊が焼失、そしてまとまった現金も同じく灰と化していました。
ここで戦争があったのかな。
と思ったけど、戦争のほうが酷いな。アパートの1室の火事だけでこんな悲惨さなのに、戦争は関係ない一般市民が空襲にあったりして殺しにかかったんだもんな。
消防のホースから出された大量の水と灰で、家中が墨汁のようになっています。
火事って本当に起こるんだ・・・。
外では、私たち家族を受け入れてあげようと、知ってる人知らない人たくさんの人が、家に呼んでくれました。
居合わせた獣医さんは猫を自分の病院で預かってあげるからと言って、ゲージを持ってきて連れて行ってくれました。
調理しなくても食べれるような食料をくれる人、
子供たちに服をくれる人、
携帯を貸してくれる人、
お金を握らせてくれた人、
駆けつけてくれた友人、
特に、私たち5人家族と大型犬と猫に、新しく住む場所が決まるまでの間、1週間以上も彼らの家に住まわせてくれた知人家族には、本当に感謝しかありません。
彼らがいなければ、私たちはもっともっともっと辛い1週間を送ることになっていたし、焼けたアパートの片づけ、検察、消防、弁護士、家探しに駆けまわる毎日で、私たち夫婦が1日中駆けずり回ってる間、私の子供たちはこの優しい家族が子供たちを見てくれるおかげで心配することなく色んな後処理に没頭することができました。
夜、爪の中、鼻の穴まで真っ黒汚れて疲れて帰ってくる私たち夫婦に、温かいシャワーを、食事、寝る場所を提供してくれ、彼らがいなかったら私たち5人とも精神を保てたか分かりません。
親以外に人にこんなに頼らせてもらったのは人生で初めてです。
本当に感謝してます。
彼らにもしも何かあったら今度は私たちが全力でサポートする番。
ここから先は火事後の家の中の様子です。
苦手な方はお控えください。
出火原因はここ。コンセントから出火。ソファに燃え移ったのが致命的だった。
下の写真は、ここに大きな鏡を壁に掛けていたけど、何もなくなってる。壁掛け時計も溶けて無くなってる、Boseのスピーカーも跡形もなく無くなり、大事なことをメモしてたものや土地の権利書、現金〇〇〇〇ドル、パスポート、などなどなど
本当はノートパソコンもここにあったのだけど、主人が火傷するほど熱くなったパソコンを焼ける前に引っこ抜いて救出してくれたおかげで、これを書けてる。充電器は溶けていた。
買ってもらったばかりのデスク用チェアーは丸焦げ。脚しか残ってなかった。
↓出火元。コンセントから。そしてソファが燃えた。一瞬の出来事。
↓もうひとつのソファ。焼けたものと同じソファ。パソコンデスクの隣にあったんだけど、主人が炎の中、このソファを移動させてくれたおかげで燃えず助かった。焦げてもう使い物にはならないけど、もしこれも燃えていたら一巻の終わりだった。
木製のものが焼けにくいことを気付く。テーブルが焦げたけど死んではいない。
冷蔵庫は一応動くようだけど、使えるのかまだ分からない。冷蔵庫の上にあったものは何がなんだか分からない状態になっていた。熱は上のほうに行くのがよく分かる。
高温でただれている。火事の中、冷蔵庫に触れた夫は火傷。貼ってた磁石も溶けて冷蔵庫に張り付いて取れなくなっている。
↓子供たちの写真があったところ。額を外したら壁がこんな風になっていた。
↓ベッドがひっくり返ってるのは犬のうみを救出するために消防士がひっくり返したそう。マットレスはとても重いのに凄い。
キッチン。棚からスライムのようなものが溶けだして固まってる。ケネディ宇宙センターで買ったお気に入りのNASAのミトンが焦げて悲しい。
戦った男たちの手形
まさかバストイレの物までが高温で溶けていびつに変形している。
変形した歯ブラシ。プラスチック類はほぼ全滅。ステンレス類は錆びのような状態になって使い物にならない、
熱で割れたり浮き上がったタイルの床。
どんな状況でも起こった事実は変わりない。
ただどう捉えるかは自分次第。
自分で見方を決めることができる。
被害者としてかわいそうな私たちにもなれるし、絶対自分たちは大丈夫だと再構築することもできる。
見方が在り方になっていく。
どんな状況でも学びはあるし、気付きもある。
心と体を普段から鍛えること。
決して強くすることじゃない。特に心は流せるようにすること。イコール執着を持たないようにすること。これは煩悩だから私はまだまだ無理だなー。
「後悔」しないこと。
後悔しないように生きる、とかじゃなくて、何が起きても「しとけばよかった」とか「言えばよかった」とか過去を振り返らず、受け入れること。
今回のことで何度も私たちの中で「あの時こうしとけさえば!」という言葉がたくさん使われました。
でも普段から主人とよく言ってたのがスペイン語で「Si hubiera No existe」。ついつい、過去を振り返って〇〇しとけばよかった思うけど、
それは「存在しない」。ということ。
私は火事2日目にはランニングに戻りました。
体を鍛える為じゃなくて、「無」になるために走って、ついでに腹筋してあわよくばお腹のお肉を取りたい。笑
まだ起きていない心配事は極力心配しないこと。
火事が起きたことは「点」でこれが他の「点」と繋がってよりよい方向への線になると確信すること。
あとは火事という人がなかなかできない体験もできたし!(火事ってほんと最悪!笑)
家族の誰一人、失ったり負傷したりしなかったし。(主人は火傷したけど)
最悪な状況でも、めっちゃ運がいい!って思えることってたくさんあるんです。
それを見つけるか見つけないか。
火事の前に行った日本。私の祖父の危篤で急な帰国だったんけど、結局死に目には間に合わず、お葬式の日の夜に私たち一家は日本に着いたので、お葬式にも間に合わなかったんですが、火事のことで色々不思議なこともあり、もしかしてじーちゃんが守ってくれたのかなーなんて思ったりもします。
人生って面白い。
つくづく体験するために人は生まれてきたんだなーと思います。
まぁ、火事で携帯が水没したあと1万2千円払って修理したのに1週間後には携帯がご臨終になさって新しいのを買う羽目になり、ご飯を数粒食べたらガリ!っとなり、石かと思ったら、この期に及んで歯の詰め物が取れるし!
もうちょっと笑っちゃいますけど、ぼちぼちやっていきます!